子ども時代の原風景──「食卓」が僕の原点
僕が料理人という道を選んだのは、派手なきっかけがあったわけではない。
ただ、思い返せば、子どもの頃から「食」に対する関心は異様に強かった。
実家の食卓には、いつも母の手料理が並んでいた。特別なものではない。味噌汁、焼き魚、煮物。
でも、それがうまかった。なんでもない料理が、家族をつなぎ、笑顔をつくっていた。
僕はその空気が好きだったし、食卓に並ぶ“手のぬくもり”のある料理に、不思議と安心感を覚えていた。
「料理って、すげぇな」──心のどこかでそう思っていた。
最初の転機──ただのバイトが「人生の道しるべ」に
食べることが好きだった僕は、高校入学してから近所のラーメン屋にアルバイトを始め
たのがこの業界が初めてだった。
高校を卒業して、すぐに料理の道へ…とは実はならなかった。
父親の希望もあり教師になるべく大学に進学したものの、早速教職課程で挫折…将来の目標もなく、なんとなく生きていた。
そんな時、ふと始めたイタリアンレストランでのアルバイトが、僕の人生を変えた。
キッチンの現場は、正直、戦場だった。
怒号が飛び交い、火傷もした。
でも、料理が完成し、皿が出ていく瞬間の緊張感と達成感は、バイトなのに病みつきになるほどだった。
ある日、オーナーシェフがポツリとこう言った。
「料理は、お客さんの“今日”を変える力があるんだよ」
この言葉が刺さった。
それまで“自分の人生”すら変えられなかった自分が、人の「今日」に関われるかもしれない。
それなら、やってみたい。
僕は腹を決めた。
修業時代──「美味しい」はゴールじゃなかった
そこから料理の世界へ飛び込み、いくつものレストランを渡り歩いた。
地元小田原、北海道、鎌倉のカフェレストラン。ジャンルも規模もさまざまだった。
最初の頃は「美味しい料理を作ること」がゴールだった。
けれど、経験を重ねるうちに、それでは足りないと感じるようになる。
「うまい料理なら世の中に山ほどある」
「でも、“また来たい”と思わせる料理には、何かが足りないとダメだ」
その“何か”を探し続けた結果、僕の中にひとつの考えが生まれた。
それが、**「料理は感情を届ける手紙である」**という想いだった。
料理を通して、その土地の空気、人の気配、季節の移ろいを伝えたい。
食材の背景や、作り手の想いまで届くような料理を作りたい──。
それが、僕が今も厨房に立ち続けている理由になっている。
小田原という土地で、もう一度「料理の意味」と向き合う
今、僕は小田原という町で、小さなレストランを営んでいる。
地元の野菜、地元の魚、地元の人たち。
この土地に根を張り、その季節ごとの恵みを、一皿に込めて届けている。
お客様に「また来たい」と言っていただけること。
料理を通して、大切な記念日や日常の一部になれること。
それが、僕にとっては何よりの報酬だ。
料理人として生きる理由──「誰かの人生にそっと寄り添いたい」
料理人として、僕が今もキッチンに立つ理由は、たったひとつ。
「誰かの人生の、大切な瞬間に寄り添いたい」
家族の食卓でも、デートの夜でも、母との再会でも、
その人の「今日」というページに、僕の料理が少しでも温度を持って存在できたら──。
その積み重ねこそが、僕にとっての“料理人としての生きがい”だ。
僕の料理が、誰かの記憶に残り、
ふとした時に思い出してもらえるようなものであるように。
そんな想いで、これからも火を入れ、包丁を握り続けていく。